良い仕事の条件として、テクニカル知識x実施要領xマインドセットの3点セットを挙げさせて頂く。
会計監査に当てはめると、例えば会計知識x効果的・効率的な監査手続きx職務的懐疑心の発揮と言ったところだろうか。これらを担保するためには、会計士の資格、会計基準、監査基準と言った公な枠組みもあれば、各自監査法人における手法・システムの確立やソフト面を含めた研修等、幅広い取組みによって成立している。
価値評価に当てはめると、ファイナンス知識x評価手法xマインドセットと言ったところだろうか。ファイナンス知識や評価手法の理解・習得も決して楽ではなく、理論・実務の両面での知識・経験の習得には相応の時間や場数を要するが、乱暴に「プロであれば、テクニカルに関しては一人前で当たり前」と片付け、本稿ではマインドセット、すなわち評価人としての倫理観に着目したい。
倫理は間口が広い論点でもあり、網羅的に全ての要素に触れる試みとなればかなりの厚みがある書籍になろうかと思うが、焦点を絞って幾つかの重要なテーマに触れたい。
(1) 十分な知見を有するか?
(2) 客観的な第三者という立場を担保できるか?
(3) 基礎に忠実か?
(1) 十分な知見を有するか?
価値評価を要する局面や対象物は幅広く、全てに万能な評価人はまず存在しないだろう。デリバティブ等の金融商品の評価を実施する「クオンツ」と言われるような金融工学の専門家と工場設備・機械装置の物理的劣化や機能的劣化を見極めるようなエンジニアは別人であるし、インフラ・プロジェクトの開発における遅延・予算超過の見極めとベンチャー企業の事業計画の蓋然性の見極めに要するスキル・経験も別物。
顧客から業務の打診・依頼があれば応えたいという思いは当然と言えるし、報酬獲得の機会も魅力的であろう。しかし、評価対象物の特性や評価目的と照らした際に、自分は専門性を有するのか、伴っていなければ一般的な知見に基づく対応が適切な状況かと言った検討や顧客との事前相談が望ましいだろう。
米国鑑定士協会 (ASA=American Society of Appraisers)の資格者は評価報告書において十分な知見を有する事を明記する(ないしは不十分な場合にはどのように補ったか記載する)事が求められる。業務発注が競争入札なので「選定されるのであれば他社より優れた十分な知見を有する事を提案において示せた」という考え方もあろうとは思うが、仮に業務内容が会計目的の評価で、いずれ監査人の目に触れた際に、専門性に欠ける不十分な評価と見做されたらどうなるだろうか?監査人の意見形成の遅延、決算発表の遅延、上場会社であれば株価への影響等と言った連鎖が容易に想定される。安易な受注の顛末・代償も踏まえ、健全な専門性の検討を推奨したい。
(2) 客観的な第三者という立場を担保できるか?
独立性の抵触や利益相反が想定される場合には評価業務の受注は当然の事として不適切であるが、このような客観的な受注阻害要因が存在しない状況においても、現実的に評価人に求められる客観的なマインドセットを保持できるだろうか?
顧客におかれては例えば「減損を回避したい」、ないしは「企業買収を成功裡に収めたい」と言った思惑が存在する場合も多いし、第三者の専門家の意見を持って監査人との協議や社内稟議を有利に進めたいという思いも存在する場合もあるだろう。また、追い打ちをかけるように評価が対象物の将来の業績や稼働等に左右され、不確実なマクロ経済状況や業界動向にも晒されている中、正しいと断言できる評価をピンポイントで算出できることは稀で、現実的には蓋然性が伴う一定の評価レンジが示される事が多い。
顧客の思惑と評価人としての素の評価レンジが重ならない場合、顧客との関係性において評価人の見解が尊重されるような状況にあるか?ないしは、顧客の思惑が事前に把握されている場合には、そもそも「評価人としての素の評価レンジ」を客観的に算出するマインドセットは保持できるのか、ないしは無意識ながら色眼鏡の価値しか捉えられない状況に陥っているだろうか?顧客や対象会社の方が業界知見豊富な状況で、評価において必要となる情報提供元でもある中、顧客からの影響の遮断策として、業務遂行において距離を保つという隔離措置にも自ずと限界がある。
ここで一例として、DCF評価を実施する事を前提に事業計画を受領したとする。事業に関するヒアリングや質問を実施の上、評価人としての客観的な見解に基づき、必要に応じて事業計画に修正を加えられるだろうか?
- 「修正はそもそも評価人の立場で実施すべき事ではない」という見解であれば、実施している業務は評価ではなく、計画が所与の計算業務に相当するだろう。
- 「業界知見が劣るので計画修正は恐れ多い」という見解であれば、評価人の知見の不足を理由に、今一度、受注の是非を検討されたし。
- 事業計画の作成目線は公正市場価値の目線に該当するとは限らない。営業部門の意識醸成を意図した高い目線の計画もあれば、必達の保守的な数値が示される局面もある。結果として、複数の目線をベース・ケース、ハイ・ケースやロー・ケースとして用い、評価に幅を持たせるという評価アプローチも考えられる。その際に、計画の達成確度に応じて割引率も調整されるのであれば、なおさら良いだろう。
- 事業計画の目線が公正市場価値の目線に相当すると見受けられる、言い換えれば一定の蓋然性が認められるケースにおいても、内外の不確定要素が多い場合には割引率だけに幅を持たせるというアプローチも考えられる。
ポイントとしては特に不確実性が高い評価の諸前提を中心に蓋然性やブレ幅の検討を実施するという事である。懐疑心を働かせる事を躊躇ったり、顧客の意向を慮るようであれば、評価人として株主等の究極の顧客に対する責務を果たしているとは到底言えないだろう。
(3) 基礎に忠実か?
「プロであれば、テクニカルに関しては一人前で当たり前」と片付け、本稿ではマインドセットに着目すると前述したが、評価のプロとしての責務の自覚が不足していると感じる局面も少なからず存在し、あえていくつかの例に言及させて頂く。
- マクロ経済環境や業界動向に関する考察が記載されず、対象物の評価のみが報告されるケース。評価は対象物を取り巻く環境から独立した形で実施できるもではない。それこそ、一定の時間が経過した後に評価に疑義が生じた際、当時はどういう見解の下で評価が実施されたか整理する上では、経済・業界に関する記述なしに弁解する余地はないだろう。
- 評価基準日:基準日は価値の起算日(例えばDCF評価をどの日付まで割り引くか)、対象事業の財務諸表の日付、市場データの日付に大別されるが、典型例として、例えばこれらを3月末等の同日に統一するという実務が見られる。一見正しいように見受けられるが、3月末の財務諸表は後日の決算を経て初めて固まり、開示される。例えば4月1日に株式の売買を検討する投資家は決算が見えていない状況での投資判断を必然的に強いられる。日本ではあたかも日付の統一が正しいという誤解がむしろ正当化されているが、米国の例として訴訟に伴う専門家による評価において、そもそも評価基準日という基本的な概念さえ正しく理解できていなければ到底、信頼できる評価を期待できないという理由で評価人の報告や証言等が棄却されると言われる。
- 価値のレベル:株式価値における支配権の有無や流動性の有無を指す概念となるが、そもそも算出された価値がどのレベルに該当するか記載されていない、ないしは複数の評価手法で算出された価値のレベルが異なるが、調整・統一されることなく、ばらばらの目線の算定結果を用いて評価レンジを形成するといった実態にも頻繁に直面する。
企業価値評価に関する評価団体の形成意義を検討するにあたり、倫理に言及するのは、まさしく評価団体として求める倫理基準を示したり、関係者が倫理基準を満たせるよう研修を実施するといった役割を担う事も取り組みの一環として想定されるからである。例えば、米国ではThe Appraisal Foundationという米国議会公認の評価団体にてUSPAP (Uniform Standards of Professional Appraisal Practice)という評価実施要領の基準書をまとめていて、テクニカルのみならす、倫理に関連する記載も多く見られる。また、米国鑑定士協会のように資格を付与している団体においては、専門性や倫理の欠落は注意や資格はく奪等の処分要因にもなりえ、評価人の襟もとをただす効果が期待できると言えるだろう。
日本での評価団体の形成意義の検討において、ぜひ自身として感じられている現状の倫理観の水準であったり、評価団体として現実的に取り組むべき施策や期待される効果も考慮して頂き、たくさんの意見・期待・要望を寄せて頂ければ幸甚である。